第3章 「教育的居眠り」を活かす教育づくり

第1節 教師の居眠りに対する見方

教師の居眠りに対する意識と、居眠りへの関わりを調査するために、無記名で記述アンケートを行なった。(資料4

◆ アンケート概要
実施時期:1999年12月
対象:小学校〜大学勤務の教師21名
実施方法:アンケートを直接手渡し、解答してもらい、直接または郵送にて受け取った。

◆ 集計結果
番号は、アンケート(資料4)の質問番号と同じであり、番号のあとの《》には、質問項目をそのまま載せてある。

1. 《子どもたちは家で充分な睡眠をとれていると思いますか。(充分とれている・まあまあとれている・ふつう・あまりとれていない・ほとんどとれていない)》

 教師が、児童・生徒・学生(以下生徒)を見て、睡眠がとれているように感じるかどうかを聞いた(グラフ14)。なお、「充分とれている」「ほとんどとれていない」については、回答数0のためグラフには示していない。
 教師の57%が、生徒は睡眠がとれていないのではないか、と感じているが、中学生と学生では、平均28%が睡眠をとれていないと答えている。また、生徒は睡眠をとれていると感じた教師は14%、中学生と学生の平均は43%と、双方とも教師側の思いとは大きな開きがある。ただし、何を根拠として教師がそう思ったかは不明であるが、教師が生徒の表情や態度や姿勢を見て感じた素直な意見であるともいえよう。

2. 《「居眠り」とは、どういう状態だと思いますか。思い当たるものをすべて選んでください。(座りながら眠る・うとうとする・思わず眠ってしまう・うそ寝をする・公共の場所で眠る・その他)》

 教師は居眠りをどういう状態であると捉えているのかを聞いた(グラフ15)。
 中学生や学生の意見と比べ、「うそ寝をする」の割合が高い(中学生・学生平均2%、教師6%)。うそ寝は、実際は眠っていないことであるから、居眠りは本当に眠ってはいない状態、と考えている教師がいるようである。また、「公共の場所で眠る」という回答も、中学生・学生平均の8.5%より多い14%となっている。教育現場は公共の場所であるから、教師の見かける居眠りが公共の場所であることが多いのもうなずけるような気がする。
 「その他」の意見として、「本来、眠るべき場所や、時でないときに眠ってしまう」という学生の回答で挙げられていた意見もあった。

3. 《授業中の居眠りを発見したことがありますか。(ある・ない)》

 授業中に限った、教師の居眠り発見率をみる(グラフ16)。
 授業中に居眠りを発見したことが「ない」と答えた教師は17%、中学生・学生アンケートの質問5《居眠りをしたときの教師の対応はどのようなものでしたか》の「教師は気づいていなかった」と答えた中学生・学生は15%であるから、これを単純に考えれば、教師は発見したことがないのではなく気づいていないだけだったということになる。
 しかし、生徒が「教師は気づいていなかった」と思っているだけで、本当は気づいていた、つまり教師は居眠りを発見していた、ということになれば、17%の「ない」は、中学生・学生への質問4《授業中、居眠りをしたことがありますか》の「ない」の平均回答率21.5%と対応するかもしれない。この場合では、教師は発見したことが「ない」とはいうが、実際生徒が居眠りをしていなかった可能性もあるということになる。
 いずれにしろ、単純な比較であるから、決定的なことはいえないが、教師の注意力だけの問題ではないようである。

4. 《(3.で「ある」と答えた方にのみお聞きします)どのような状態を見て、居眠りをしていると判断されましたか。当てはまるものをすべて選んでください。(目を閉じている・うつぶせている・いびきをかいている・他の子どもからの指摘があった・舟をこいでいる・話し掛けても反応がない・その他)》

 教師が生徒を見て居眠りしていると判断する状態はどのようなものかを聞いた(グラフ17)。「その他」は回答がなかったためにグラフから除外してある。
 「いびきをかいている」(17%)「舟をこいでいる」(25%)「話し掛けても反応がない」(13%)というのは、明らかに意識が薄れて睡眠の状態に入っているといえる。
 しかし、「目を閉じている」(13%)「うつぶせている」(28%)という状態は、外見から居眠りであるかどうか判断するには難しく、本当は眠っていないかもしれない状態であるのにもかかわらず、4割が居眠りであると判断されているのである。

《居眠りを発見されたとき、どのような対応をされましたか。(起こした・立たせた・顔を洗うよう言った・無視・理由を聞いた・あとで注意した・その他)》

 居眠りを発見したあと、その生徒に対してどのような態度をとったかを聞いた(グラフ18)。「立たせた」「あとで注意した」は回答がなかったため、グラフには表示していない。
 「その他」(14%)の回答は「あててみる(問題などの解答を求める)」などで、「起こした」(36%)「顔を洗うよう言った」(7%)「理由を聞いた」(7%)と合わせて、64%の教師が生徒の居眠りに対して積極的にはたらきかけたことになる。しかし、2章の調査では、「起こされた」「立たされた」「顔を洗うよう言われた」「理由を聞かれた」「後で注意された」の合計は、中学生の場合が33%、学生の場合が39%と約半数で、大きな違いがある。
 「無視」の数は、教師36%、中学生42%、学生53%と差があるが、教師側は無視してはいないのに、生徒が無視されていると受け取ったケース、また同様に「起こした」(36%)と「起こされた」(中学生26%、学生19%)の差も、教師が起こしているのに生徒は起きなかった、などというそれぞれの立場の主観的な意見の違いからくるものではないだろうか。

5. 《授業中の居眠りに大きく影響するのは何だと思いますか。思い当たるものをすべて選んでください。(睡眠時間・本人のやる気・授業内容・教師の姿勢・教室の環境・まわりから伝染する・その他)》

 教師から見て、生徒の居眠りにはどういった要因が大きく影響するかを聞いた(グラフ19)。
 中学生、学生と大きく違う点として、まず、「教師の姿勢」の割合が15%と高い(中学生・学生平均7%)。教師自身が生徒の思う以上に自分の姿勢を大切に、積極的に授業を行なおうとしているのではないだろうか。しかし、「授業内容」(18%)は、中学生・学生の平均25.5%より低く、これは自分の授業内容への自信の表れであろうか。また、授業の進み具合の関係でそう簡単に変更するわけにはいかないのかもしれない。しかし、生徒の側で考えると、教師側に絶えず改善の気持ちがあってほしいようである。
 そして教師は教室全体が見渡せる視点に立っているからか、「他人の居眠り」が居眠りを誘発するという考えが多い(5%)。同一時間内に、多くの生徒が次々に居眠りしていく姿を見かけたのであろうか。しかし、その場合は教室内の空気が悪いなど、環境の面でも問題があるかもしれない。

6. 《授業中の居眠りは許されるものであると思いますか。その理由もお願いします。(許される・許されない・どちらでもない)》

 授業中の居眠りが教師として許されるものであるかを聞いた(グラフ20)。
 「許される」が46%と約半数、学生の26%に比べて、教師のほうが居眠りに対して非常に寛容であるのは意外であった。しかし、同時に「許されない」の割合が31%(学生23%)と高いことも確かである。
 全体としてみると、「どちらでもない」の割合が減り、教師が自分なりのしっかりした意見をもっているようである。
 理由として多かったのは、「許される」に関しては、生理現象である、責任は本人、という意見、「許されない」では、お互いが真剣勝負である、失礼である、モラルの低下が挙げられている。

7. 《授業中の居眠りに対しては、どのような対応、配慮が必要だと思われますか。》

 居眠りに対して教師がすべきことは何かを聞いた(グラフ21)。
 学生の「放っておいてほしい」(40%)に対して、「放っておく」「無視」という意見は合わせて21%と、積極的にはたらきかける教師は多いようである。
 そして、もっとも多いのが「授業内容の検討」(38%)で、「眠らせない魅力的な授業をする義務がある」、「勉強=おもしろくないという構図を生徒から拭い去ってやる必要がある」といった教師という職業の使命感のようなものを感じる意見が多い。
 次に、「起こす・注意する」が29%であるが、ただ単に起こしたり、むやみに注意するだけではいけないといった論もあり、起こしてからどうするか、という事後の対処が求められているようである。
 そして、「原因を探る」の割合が低い(7%)ことは、まだ居眠りを一過性のものとして認識しているような感じが受け止められる。「その他」の記述にあるような、「居眠りを定着させない、生徒への配慮」がもっとあってもいいのではないかと思う。

8. 《子ども(生徒)との関わりにおいて、居眠りにまつわる思い出やエピソードがあればお願いします。》

 教師の居眠りに関する話を書いてもらった。特に注目すべきものを挙げる。
 高校の先生が授業中に、自分の経験を元にして、「どういうときにどういう人が居眠りをするか」という話をした。すると、その後は授業中に居眠りをする生徒が減ったそうである。きっとその先生の話はおもしろかったのであろう。そして生徒はその話の内容に少なからず心動かされたに違いない。先生の性格だとか特徴を見つけたのかもしれない。そして、この先生の話なら聞いていてもいいかな、と思ったのであろう。生徒をひきつける魅力を、授業の中に含んでいれば、こういった光景は珍しくないのかもしれない。
 また、大学に勤務する先生は、学生は夜遅くまでバイトをして、単位が必要な講義にのみ出席し、居眠りをしているという現状を、学生本人が面白くて進みたい道に来ていないからではないか、と指摘する。学歴社会のもとで、目的を持たずに大学へ進学してきた学生たちがいる。そういう学生たちへの対応も必要なのかもしれない。

第2節 養護教諭の居眠りに対する見方

居眠りを考えるにあたって、これまで教育を受ける側と教育をする教師の側からみてきた。次に、学校という限られた場で唯一、子どもたちが「入りたいな」と思ったときに、いつでも自由に入ることができ、気持ちを楽にしてほっとできる場所である「保健室」に注目してみる。
現在、保健室という場所が学校の中で重要な役割を担っていることは、多くの場で語られるようになったが、そこで子どもたちの健康などを日々考えながら勤務する養護教諭は、居眠りに対してどのような見方をしているのであろうか。
インターネットを通じて、日本各地の小学校から大学までの養護教諭の先生方と知り合うことができ、さまざまな意見を寄せて頂いた。その中でまず、卒業論文のテーマに「居眠り」を選んだことについて、「おもしろい」「興味がある」「いいところをついている」などの答えが帰ってきて、「居眠り」を中心としたことは決して間違いではなかったという僕の自信にもつながってきた。
 養護教諭の先生方にとっても、睡眠と関わって見過ごせない問題のようであり、卒業論文が完成したらぜひ見せて欲しい、という要望があったことからも、その関心の高さをうかがうことができた。また、ある先生は、「学校教育の中で心地よい眠りと健康の維持増進というテーマがあまり取り上げられることがないことを不思議に思っていました」と、現在の学校教育が、眠りに対して関心が薄いことを指摘している。しかし、その先生でさえ、現在の教育のシステムを子どもの生活リズムを取り入れたものに、変革していこうという動きにまでは発展していないように思う。
「居眠り」についての考え方は、養護教諭独特のものが多い。Y先生は、過去に現職研修論文で睡眠を扱っており、その知識から、「前夜ぐっすり眠ってても、午後になるとふっと眠くなる程度では心配いらないんですが、なんとなく一日中眠気が取れないというのは睡眠障害の疑いもありますね」といっている。また、K先生は「子ども達がなぜ居眠りをするのか、生活のリズムやスタイルに問題はないか?などと考えたり」しているそうである。居眠りを一時的な現象としてではなく、一日の生活リズムと子どもたちのもっている背景を考慮したものであると捉えている。
H先生は、「居眠りって本人にとってはとっても幸せなんです。現実と夢の世界の間を行ったり来たりのあの心地よさは、普通の睡眠では得られないんですよ」と、居眠りによって得る心地よさを協調した上で、「居眠りって緊張の度合いと関係が大きいように思うから、いつも緊張しているとかがんばりすぎている子どもには、できない芸当かな。今、いい子を背負っている子どもって多いから。教室で居眠りできる子は、保健室のベッドで隠れなきしないのかもね。」と、居眠りを現在の子ども像と照らし合わせて考えている。U先生やE先生の保健室には「寝に来る」子どもも少なくないそうである。本来学校生活の拠点となる教室はすべての子どもたちにおいて、安心できる場所ではなくなってきている。そしてだからこそ保健室は必要とされているのであろう。
居眠りに対して、具体的な案も出されている。L先生は、「「居眠り」を「仮眠」と言葉を変え、30分でいいから仮眠の時間を設定し、実施できたら先生方も子供たちも元気が復活するのではないだろうか」という提案をしている。2章3節の質問9では、実際に15分の居眠りタイムを用いた先生がいた。時間の長さは違っても、こういった時間をもつことが重要なのであろう。 また、Y先生は「午後2時ごろになると眠くなるのは体温の日内変化からくる生理現象」であるが、「何かに集中していたり、体を動かしているときはその眠気に気がつかずに、夕方を迎える」というからだのはたらきを利用して、「5時間目の授業は、グループで何か作業をさせるとか、ディスカッションをするとか、気分転換になるような息抜き動作等を入れるなどの工夫をされると良いかと思います」といっている。居眠りには気分的な息抜きの要素も充分含まれていることがいえるであろう。
L先生はまた、「子どもたちがもっと自分なりに考えてみる時間を取るべき」といって、保健学習に睡眠を取り入れているし、K先生も居眠りを「ほけんだより」で取り上げるなどしている。
そういった反面、「保健室」への理解が足りず、養護教諭の自由にならない面もあるようである。主任や保健主事から「保健室で甘やかすな」という類の圧迫を受けた先生がいた。H先生はそれに対し、「保健室を"甘えの場所"と決めつけるのではなく、子どもたちが"本音で語れる場所"として学校の中に位置づけることで、生徒と教師の信頼関係を高める一助になる」といっている。子どもが安心感をもって飛び込んでいく保健室から子どもたちを締め出すことは到底できないし、学校として教師としてやってはならないことのような気がする。
また、K先生は、「授業や教育活動はいまの日本のスタイルでは、きちんと全員が席に座って、前を向いて教師の話を聞くことが基本」となっていて、「一定のルールや秩序が必要」といっている。その「ルール」「秩序」と「子どもの立場になって考える」ことのバランスの難しさがあるという。居眠りはもちろん「いまの日本のスタイル」ではない。しかし、「子どもの立場になって考える」と、居眠りに対する考え方も変わってくるというのである。
別の先生は、保健室に来室した児童のことを「ほけんしつだより」に掲載し、職員向けに配布したところ、その児童の担任から「自分のせいではない」と抗議されたという。担任の知らない情報が保健室に集まると、担任自身が問題視され評価されるのではないかという強迫観念が芽生えるそうである。
子どもたちを大きな視野で見つめ、担任だけでなくさまざまな立場の人に意見を聞き、連携を強め、学級王国という考えから、学校全体で全校の子どもたちを育てるという考えに変換していく雰囲気づくりが必要とされている。それによって、保健室への理解もすすみ、保健室の問題も養護教諭だけの問題ではなく学校全体で取り組む体制を取っていくことができるであろう。そして、養護教諭が、子どもたちの生活リズムを考慮した、きわめて自然な教育のかたちを提案していくことが、子どもたちによりよい教育を行うために必要なのではないだろうか。

第3節 居眠りから見た教育

これまで、さまざまな角度から居眠りをみてきたことで、人によって居眠りの解釈や考え方が違うことがよくわかる。そして、多くの人が経験してきた居眠りという現象が、単に睡眠時間が不足しているから、という理由で起こるものではなく、さまざまな要因が入り混じった結果、起こるべくして起こっていることに気づかされた。その要因として、学校、教師、家庭そしてもちろん本人も含まれることを考えると、居眠りを家庭や本人だけの問題ではなく、もっと大きな、教育全体の問題として捉えることは決して間違ったことではない。
そして、人はそれぞれ、独自の生活リズムをもっていて、そのリズムを維持するためには睡眠が必要である。さらに、夜の睡眠とは異なったタイプの睡眠として、居眠りが存在し、生活リズムを調整するために、居眠りという現象が必要になる場合もあることがわかる。居眠りを含めた生活リズムが滞りなく流れたとき、健康というものが見えてくるのであろう。
居眠りへの考え方や、生活リズムが、人によって違うということは、人間一人ひとり、それぞれ顔かたちや思想に違いがあることと同じく、居眠りも個性の一つではないかと考える。「生きる力」をはぐくむために、個性尊重の考え方を推し進めていくのであるなら、生きるために、そして生活リズムを保ち健康であるために、最低限必要な睡眠や居眠りといった個性的な問題がもっと表舞台に登場し、大きく取り沙汰されてもいいのではないだろうか。
 アンケートにおいて、居眠りに影響するものとして、「教室の環境」を選択した中学生、学生、教師は平均で14%。そして最近になって、木造の良さを見直す気運の高まりとともに、いままで当たり前のように受け取られてきた、学校や体育館等、大きな建物は鉄骨で、という考えから、小・中学校の校舎などを子どもの成長に望ましい木造に改築するという実例が増えてきている。人々はいわば、環境をいままで歩んできた自然に戻そうとしているのである。それに対して、子どもたちの生活リズムは現代のまま突き進むのであろうか。幼稚園児には居眠りが存在し得ない環境があり、中学生、学生と年齢が高くなるにつれてその環境が変わっていき、居眠りが増加していった。生活リズムに近い形にある幼稚園の教育と、その後の生活リズムとは無関係の教育。自然なリズムで生活できるように、教育も変わっていく必要がある。
 学校が休みになるのを心待ちにする子どもたちに、五味太郎さんはこう言っている。「毎日決められた時間に教科書を持って、決められた宿題をやって、決められた態度で学校へ行かねばならない、そこが学校のおもしろくない理由です。そして、そんなこともうとっくに分かっているのに、大人たちは決して子どもたちが好きになるような場所に学校を変えようとはしません。変える気もありません。変えてはいけないと思っている人さえいます。」7
 子どもたちが「おもしろくない」と思う「決められた」学校の中には、生活リズムを無視して「決められた時間割り」が存在する。大人たちはそろそろ動き始めてもよいのではないか。学校を、少しでも子どもたちのリズムを考慮したものに変えていってはどうであるろうか。子どもたちは「決められた」学校を自分の意思とは無関係に歩んでいく。そして、学歴社会ということばのもとで、目的をもたない学生がとりあえず大学に進学してくる。進路指導、入試制度の改善、そして学歴社会をなくしていこうと考えると、非常に広い範囲での問題が浮かびあがってくる。
 教師はそれらの問題に対して、普通の大人社会のごくありふれた関心の置き方と同じでよいのであろうか。もっと子どものことを考え、積極的に子どもたちに手を貸すことはできないのであろうか。教師が現在の教育の範囲で子どもたちに求めることは多く、もちろん教師はそのために常日頃努力しているであろう。しかし、逆に子どもたちからの声にならない願いを直接理解できる立場が教師ではないだろうか。
 教師は居眠りに対してもさまざまな対応を取ることがわかった。その対応一つひとつが、教師それぞれのもつ、しっかりとした根拠のもとで、行なわれていたことは、「居眠りは許されるか」という問いに対して、77%の教師が「許される」または「許されない」とはっきりした答えが返ってきたことからもわかる。そして、その対応を、その場しのぎではなく、教育全体の問題として取り組んでほしいと思う。現在の学校中心の社会では、教師は、あらゆる人、物を利用して、制度や社会全体を変える力をもっていると思う。教師がしっかりとした意見をもつことで、その力で実現できることが多くあるものと信じている。
 2章2節において、中学生は睡眠時間に対して満足度が低いことがわかった。現在子どもは夜型生活から深夜型生活へと、すさまじい速度で進行しているといわれている。また、夜更かしの低年齢化も進んでいる。必然的に夜間の睡眠時間は減少し、眠りの質は低下していく可能性がある。さてもすると、いままで生活リズムを整えるためにあった居眠りの時間が、生命の維持に最低限必要な睡眠の補填に充てられるかもしれないのである。もしそのような状態になれば、生活リズムを考慮した教育が実現しても、役に立たなくなってくるに違いない。そうならないためにも、いますぐにでも健康教育の一環として、睡眠に関する知識と、睡眠の質を高めるための睡眠教育が必要になるのではないだろうか。
 その睡眠教育を実現する上で、やはり「居眠り」に関心の高い養護教諭の存在は大きい。多くの学校では、たった一人の養護教諭が子どもたちの健康を管理している状態にある。担任や他の教師との連携を密にすれば、養護教諭が先頭に立って、居眠りに対する配慮を学校ぐるみで行っていくことも可能になるのではないだろうか。居眠りを禁止することではなく、自然な生活の中で居眠りがなくなっていくことが理想である。
 世の中に数多く存在する教育問題の中で、まず注目されることのなかった居眠り。それ一つを取り上げただけでも、課題は大きく、そしてたくさんあることに気づかされた。教育現場には居眠りのような、とても小さな、教育を考えるきっかけとなるものが溢れているに違いない。そのきっかけを一つひとつ見つめなおし、問題意識をもって積極的に挑むことは、学校および教師に課せられた使命ではないかとも思う。居眠りが教育に与えてくれたもの、それは、これから21世紀へむけて創りあげていく、よりよい教育への課題であるのかもしれない。

おわりに