
毎日、眠りから覚め、活動し、そしてまた眠る。こうした生活の連続が、人間の一生であり、その3分の1は睡眠に費やされている。
中世ヨーロッパでは、拷問のひとつとして「不眠」が用いられた。容疑者を監房に閉じ込めて24時間見張り、少しでも眠りかけると、看守が体を揺さぶったりこ小突いたりして起こすというものである。イングランドでは、自白を強要するための拷問が非合法化されていたので、拷問台や足枷のような特別な道具は一切不要で、しかも体に傷跡も残らない「不眠」の拷問は、都合がよかったのだという。容疑者は疲労が極限に達し意識が朦朧としてくると、裁判官の誘導尋問にのって自白し、また、眠りを奪われた容疑者の中には、精神に異常をきたす者もあったそうである。このように、睡眠が不足することは、人間の健康を大きく損なうことであり、健康な生活を送る上で、睡眠は大変重要な役割をもっている。その睡眠とは、いったいどのようなものであるのだろう。
| 睡眠は脳にも休息を与える、といわれることがあるが、実は脳は休まない。人間が活動するために必要な神経系をつかさどるのが脳であり、睡眠でさえも脳によってコントロールされているのである。そして、脳のはたらきは脳波としてあらわれ、活動の状態によって脳波は変化していく。活発で好奇心をもっているときはβ波(非常に早い波)、ぼんやりしているときはα波(あまり早くない波)、うとうとしているときにはθ波(ゆっくりした波)、熟睡しているときはδ波(とてもゆっくりな波)になる。働きすぎた脳は波調を変え、からだじゅうに様々な信号を送り、からだにはあくびなどの反応が出てくるのである。あくびが出るときの脳波はθ波である(図1)。 | ![]() |
| 睡眠には、個人差があるものの、およそ70分から130分ごとの周期がある。そのひとつひとつの周期にはそれぞれ5つの段階が存在する。図7は、その周期のひとつを図に表したもので、太い線で囲まれた部分が睡眠の周期、白矢印は睡眠への開始位置、数字は各段階である。それでは、それぞれの段階を詳しく見てみよう。 第1段階(図7:白色)は、片方の耳が眠る段階である。周囲との関係を絶とうとしている時期であるが、周囲の音は聞こえているため、名前を呼ばれたり触れられると気づくような軽い眠りの状態である。脳波は、前頭部と後頭部で周波数が違うδ波である(図2)。 |
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| 第2段階(図7:うす灰色)には、目はすっかり休んでいて、耳が休み始める。周囲の音は聞こえても、それを識別することはできない、ふわふわとした状態である。この状態でも依然目は覚めやすく、軽い眠りのままである。 第3段階(図7:灰色)になると、両耳とも眠ってしまい、物音は聞こえなくなる。深い睡眠の開始時期といえる。 第4段階(図7:濃い灰色)は、熟睡の状態で、からだの疲れをとり、体力を回復させることができる。脳波はさきほどより波長の長いδ波である(図3)。 |
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| 第5段階になると、それまで規則正しかった心臓の鼓動や呼吸が不規則になり、脳波は鋭く、大きくなり(図4)、起きているときと同じ早さになる。いわゆるレム睡眠(逆説睡眠)と呼ばれる状態になり、このときに夢を見るようになる(図7:赤色)。 | ![]() |
| レム睡眠の終わりには、睡眠のひとつの周期も終わりに近づき、脳は眠りと目覚めの境目の状態(図7:ピンク色)、脳波はθ波に変わり(図5)、ほとんど目が覚めるところまで眠りは軽くなる(図7:黄丸)。このとき、脳は再び眠りこむ(図7:黒矢印)、目を覚ます(同:青矢印)、軽い眠りのうとうとした状態のままで夢を記憶する(同:赤矢印)のうちひとつをを選択するのである。再び眠りこむと、睡眠は次の新たな周期に突入し、目覚めを選択すると脳波はα波とβ波に変化し(図6)、まず耳が起き、周りの物音を感じ、それから目が起きるのである。 | ![]() ![]() |
眠らない街、などという言葉にも見られるように、24時間営業のコンビニエンスストアなどが増加してきた現代の都市生活において、昼と夜が入れ替わるという生活は多くなりつつある。しかし、人間には日の出とともに起きて働き、日没後に休息と睡眠をとるという、人類の長い歴史の中で習性化されたリズムがある。単純にいえば、昼間には機能は亢進し、夜間は低下するということを繰り返しているのである。昼と夜が入れ替わった生活をすることでこのリズムはどう変化するのであろう。
正常な生活をしている人の体温は、通常深夜から早朝にかけて最低となり、起床後急激に上昇して午後2時ごろから4時ごろにかけて最高になる。そして、昼夜を入れ替えた生活をしたとしても、睡眠中の昼間のほうが体温が高くなる。ただし、海外旅行時の時差に慣れるのと同様、数日そのままの生活リズムを続ければ人間は適応することができる。現実の生活においては、睡眠のリズムが乱れることで、睡眠の開始がレム睡眠から始まるという現象など、何らかの障害が起こりうることがわかっている。
さらに、睡眠は心身を休めるだけではなく、成長には欠かせない機能である。甲状腺などの腺が、夜に活発に働くことから、「寝る子は育つ」は科学的にも正しいといえる。乳幼児がよく眠るのは、完全に発達するために睡眠が必要であるからであり、したがって、乳幼児のからだは睡眠中に大きなはたらきをしているといえる。そして、睡眠のリズムが不規則になることで、ホルモンの分泌も不規則になるなど、成長に大きな影響を与えることになる。睡眠というものは、いろいろな面において重要であることがわかる。

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さて、居眠りとはどのような状況でどのようにしてうまれるのであろうか。「居眠り」と同じように、睡眠に関係する言葉はたくさんあるが、そのいくつかをその単語の意味とともに挙げてみる。
「居眠り」…すわったり、腰かけたりしたまま眠ること。かたねぶり。
「片眠(かたねぶり)」…熟睡しないでまどろむこと。
「転寝(うたたね)」…寝るとはなしに寝ること。寝床に入らないで、思わず知らずうとうと眠ること。
「仮寝(かりね)・仮臥(かりぶし)」…そのままで、ちょっと寝ること。
「空寝(そらね)・空臥(そらぶし)・空眠(そらねぶり)・嘘寝(うそね)・狸寝入(たぬきねいり)」…寝ているさまをよそおうこと。眠ったふりをすること。
このうち、「空寝・空臥・空眠・嘘寝・狸寝入」については、実際には眠っていないことになる。その他は少なくとも覚醒の状態にはなく、その状態が外見上、居眠りと判断されてもおかしくはないであろう。「居眠り」には「すわったり、腰かけたりしたまま」、「転寝」については「寝床に入らないで」、「仮寝・仮臥」では「そのままで」というふうに、見かけの状態についての意味づけがなされている。居眠りとその姿勢については大きなつながりがあるようである。
居眠りしている人をよく観察していて、じつに単純ではあるが、ひとつのことに気づいた。夜に眠るときというのは、頭は枕やふとんの上に乗せられて固定されている。頭を浮かせた不安定な状態で眠っている人はまず見かけない。そして、起きているときには、座っているときはもちろん、重い頭を首だけで支えていることになる。さらに、居眠りをしている人は、からだは横たわってはいないが、頭部だけみれば、夜眠るときと同じように、どうにかして重い頭を安定させようとしているということである。たとえば、うつむいてあごを胸のあたりにあてて支えたり、ほおづえをついたり、額を支えたり、背もたれや壁など後方にもたせかけたり、電車の中では隣の人の肩に支えてもらったりしている。支えるところがない場合、頭は重力のままに落ちていき、そのうちはっと気づく、そういう光景をわれわれはよく経験し、目にするものである。つまり、居眠りの状態のひとつとして、横たわらずに頭をどこかで支えて眠る状態、ともいえるのではないだろうか。
それでは、居眠りをしているとき、その頭の内部にある脳にとってはどのような状態なのであろうか。1節では、睡眠の周期はおよそ70分から130分と書いたが、実はその他にも、図7でいえば、軽い睡眠に入るか入らないか程度の非常に短い周期5分〜20分の睡眠もある。われわれが朝にパッと目がさめてすがすがしいと思うときは睡眠の周期の区切れでうまく起きることができたからであり、他人に起こされるなど、睡眠の周期の途中で目覚めてしまった場合は、何かとからだが重く感じるものである。非常に眠いとき、まぶたを閉じてじっとしているだけで心地よいと感じることがあるが、心地よいというのは、つまりひとつの周期が完全に終わった状態と同じいうことであり、短い周期の居眠りにもそのことは当てはまるのである。そのときの脳波も自然に目覚めるとき(図6)のものと同じような非常にリラックスしたものである。
こういった睡眠をとらなければならないとき、それは脳が睡眠を促すサインを出しているときであり、そのときにはそのサインにしたがって眠るのが、からだにとっては一番よいことであるといえる。人間には、人それぞれの遺伝子の中に情報として組み込まれている睡眠のリズムがあり、夜の睡眠のほかに、そのリズムによって脳が睡眠を促すことがある。これが居眠りや昼寝といわれるものである。
人間が快適に生活していくためには、夜以外でも、何度か軽く眠るとよいとされていて、それによって寝つきがよくなるともいわれている。いつ眠ればいいかというのは、人それぞれ独自のリズムに沿って、その人だけが知ることができる、先ほど書いたような脳からのサインのあったときである。ただ、朝10時と夕方5時、それに深夜3時には脳からのサインが出されるということがわかっていて、アメリカでは10時ごろからコーヒーブレイクをとって仕事を中断し、おしゃべりなどをして気分をリラックスさせてから仕事に向かう。また、ある国では昼寝の時間があり、その時間帯は仕事をやめて休息するという。日常生活にも居眠りと密接な関係をもった習慣が根付いているのである。
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それでは次に、教育現場での居眠りを考えてみる。
教育現場の居眠りというと、教室で授業中に眠っている、という光景が一般的かもしれない。そして、教室で居眠りをしている場合、ほとんどの場合は起こされ、怒られたり、立たされたりといったような、何らかの仕打ちが施されているはずである。まあ、睡眠状態をいきなり覚醒の状態に戻すことも、仕打ちのひとつではあると思うのであるが。たとえばこのように、居眠りは教育現場にはあるべきものではない、まったくふさわしくないものである、という感じに扱われ、居眠り絶対禁止、という暗黙の了解のもとで教育が進められているのではないだろうか。
確かに、居眠りが教育現場において必要不可欠なものであるとは思わない。しかし、先に述べた、教室で授業中に眠っているという光景が多発していることは、否定できないように思うのである。そして、居眠りという状態だけを取り上げて起こしたりすることが、居眠り絶対禁止へ向けての解決策となるのであろうか。居眠りは一時的な状態にすぎない。居眠りをやめさせるだけでは、一時的な解決にしかならないのではないだろうか。原因はもっと大きく、深いところに潜んでいるのではないだろうか。
単なる睡眠不足である、と片付けてしまうとそれまでになるが、その睡眠不足の原因がどこにあるのかを探っていく必要もあるだろう。家庭で眠れない原因があるかもしれないし、ひょっとしたら学校での悩みや学習のために睡眠がとれないでいる、といった、学校が原因になっていることもあるかもしれない。それらの背景を理解した上で居眠りをみれば、居眠りも子どもの生活のリズムやスタイルを知る手がかりとして、充分な情報をもっていることに気づくであろう。
よりよい教育を行なうにあたって、環境はとても大切であるといえる。それは、教室などの施設や設備、つまり物的環境と、教員の配置などの人的環境に分けられる。世界中には、これらの環境が整わないために充分な教育を受けることができない子どもも大勢いる。そして、それらの条件が比較的そろっていれば、教育は成り立つのであるが、もうひとつ、忘れてはいけない環境がある。子ども自身の環境である。子ども自身の精神や健康が保証されてこそ、本当の充分な教育が行なえるのではないだろうか。居眠りも、子どもの健康に関わって、非常に需要な役割を担っているはずである。
このように考えると、居眠りも簡単に見過ごすわけにはいかない。居眠りには教育に対しての多くのメッセージとヒントが含まれているのである。そのメッセージやヒントを、はなから受け入れず、捨ててしまうことは、たいへんもったいないことである。教育をよくしていくためには、あらゆる方面からのたくさんの情報が必要であり、さらに居眠りは、直接子どもから情報を得ることができる機会のひとつなのである。
居眠りがこうして、教育的に価値のあるものであるということから、「教育的居眠り」という言葉で表してみる。これは、日本語としてはまず聞きなれない言葉で、正しくないかもしれない。しかし、居眠りをあえて「教育的居眠り」とすることで、居眠りに潜む教育的価値を探り、見出すきっかけとしたい、という思いがある。
居眠りという状態に対して、そのまま放っておくことを推し進めるわけではなく、居眠りをしている、というその姿からにじみ出るさまざまな情報をくみとって、その後の教育に活かすことはできないであろうか。これから「教育的居眠り」としての居眠りが、教育にどのような情報を与えてくれて、そして教育は居眠りに対して、どのように働きかけていくべきなのか、さらに居眠りから広がる教育の可能性について探っていこうと思う。